神様は本当に存在するの?宗教問題やスピリチュアルによくあるお話

神さまって本当にいるの?

 

ノリです。

今回は「神様は本当に存在するのか?」というテーマでお話していきたいと思います。

 

「神」と一言でいってもいろいろな視点や定義がありますよね。

 

それを見る視点(次元)によって「神はいる」とも言えるし、「自分=神」とも言えるし、ワンネスのような視点から見れば個は存在しないので「神はいない」とも言えます。

 

そしてこれらのどの視点が正しい、間違っているという事もないんですね。

(´_ゝ`)ふーん

 

国や宗教で見ても大きく分けるとキリスト教やイスラム教や仏教などがあり、その宗教の中にもそれぞれいろいろな神様が存在しています。それによって宗教問題などが起きたりもしますよね。

 

このブログでも過去に日本神話のお話をやっていますが、その物語の中にも海幸彦山幸彦、海神(わだつみ)、天照大御神(アマテラス)などの神様が登場しています。

 

僕自身、過去仕事場に「とある宗教の人」がやってきて、

 

「○○○神が世界を救います!キリッ」

 

と目をキラキラさせながら力説していました。

 

こういう人の話が正しい、間違いという事はとりあえずここでは置いといて、この世界にはこうした「神」にまつわる話がたくさんありますが、結局のところこういったお話にはこの疑問が必ずついてまわります。

 

「で?神様って本当にいるの?」

 



神の存在の証明

これ結論を先に言うと、

 

「神がいる事もいない事も証明できない。」

 

という事なんです。

\(^o^)/オワタ

 

例えば、

 

「そんなことはない!私には神のメッセージが降りてきます!」

 

という人の場合、百歩譲って本当になんらかのメッセージが降りてきているとして、そのメッセージの主が神なのか?いわゆるスピリチュアル的に言う低級霊のような存在なのか?結局なんなのかは誰も証明しようもない事になります。

 

ソクラテスの言うように「何もわからない事がわかった。」という「無知の知」というやつです。

 

目に見えない存在というもの自体は僕自身もいるとは思っていますが、それが「どんな存在」もっと言えば、この世的に悪い存在なのかいい存在なのかは視点によって変わるし、すべてを把握するのは不可能だと思っています。(そもそもすべてを把握する必要もないですが。笑)

 

これは別に目に見えない存在に限らず人間も同じで、見た目や言葉だけだといい人そうに見えても、肝心の中身はぱっと見ただけではわかりにくいのと似ています。

 

よくスピリチュアルな世界では、

 

「今回の地震は神が起こした人類へのメッセージです!」

 

という天候や災害に関連付けて、神の話をする人がけっこういます。

 

これも本当にそうなのかもしれないし、まったく関係ないかもしれないし、結局のところどちらもそれを証明できないんですね。

 

ただ、僕の意見としてはやたらなんでもかんでも地震とかその他災害を、神のメッセージと関連付けたがる「なんでもかんでも感」な人は正直苦手です。笑

 

他にも先ほども話したように「私は神の声が聞こえます!」というものや、「私は高次元宇宙人のメッセージを降ろしています!」というようないわゆるチャネリング的な話がよくあります。

 

一言で神や高次元の存在といってもいろいろな個性の存在がいて、それぞれ主張も違います。

 

なのでここで気をつけたい事は、

 

「目に見えない存在のメッセージ(神や高次元の存在)」=「正しい情報」

 

ではないという事です。

 

もちろんそういう情報がすべて間違っているとかそういう意味ではなくて、それは薬と同じで人によって良薬にもなるし、毒にもなるという事です。

 

大事なことは「神の存在」ではない?

結局のところどうやっても証明できないものを、

 

「絶対に神は存在するんだ!」

「いや!神なんていない!」

 

と言い争いしたところでなんの生産性もないんです。笑

 

なのでまず今回のお話で大事な部分は、

 

神様が本当にいるいないはけっこうどうでもいい。

 

という事なんです。

 

正直どっちでもいいんです。

(´_ゝ`)あらヤダ!

 

いると思って生きても、いないと思って生きても。

 

大事なのは今自分がこの世を「どう生きるのか?」という部分で、「神はいる」という生き方の場合、そう見立てて(設定して)生きるという事が大事なんです。

 

例えば生きていて何かしらの壁や試練が目の前に現れたとして、

 

「あ~なんで私ばっかこんな目に遭うんだ~!」

 

というのはごくごく普通のつまらないリアクションですが、例えば神がいると設定した場合はこうなります。

 

「私にこういう問題が起きたという事は、神は今の私に何を教えようとしているんだろうか?」

 

というようなリアクション(解釈)になります。

 

もちろんこの解釈もあくまで一つ例ですが、前者と後者では同じ出来事でもどちらがより人間(魂)として成長できそうなのか?という事です。

 

これは「本当かどうか」はとりあえず置いといて、目の前の問題を神様からの試練と見立てる事で、三次元的な視点より少し俯瞰した視点で自分自身を観れるようになります。

 

すると「あいつのせいだ!」「環境のせいだ!」というような思考から抜け出せれるようになり、その分だけ人(魂)として成長、強くなれます。

 

逆に神はいないと設定している場合、「わ~ん!神様助けて~!」というようなある意味他力本願の思考ではなくなります。

 

この場合、この世の不利益は自己責任というような考え方になり、これもある意味で人(魂)として成長、強くなる事ができます。

 

もちろんこの考え方も行き過ぎると必要以上に自分を責めてしまったりというデメリットもありますが、時に自分を責めるという事も必要な時期もあります。

 

肝心な部分なのでもう一度言いますが、大事なのは神がいるいないの部分ではなく、

 

  • 「いると設定してどう生きるのか?」
  • 「いないと設定してどう生きるのか?」

 

という事です。

 

そして人にはそれぞれ考え方や相性があるのでどちらの考え方が絶対に正しい、間違っているという事はないです。

 

この世の限られた自分という肉体時間を、どう消費して終わりを迎えるかは自分次第。

 

ただ、せっかく今存在している自分をこの世の中でより充実したものにするために、神という存在を見立てて(設定して)上手に使わせていただくという生き方はアリだと思います。

 

なぜ神を設定するほうがより充実するのかというと、エネルギー的にはその方が得だからです。

エネルギーについての記事はこちら。

エネルギー(波動)とは?スピリチュアルな話にもあるこの世の仕組み

 

例えば何かいいことがあったとします。

そのいいことを、

 

「このいいことは自分が努力したから起きた事だ~!」

「このいいことは神様やその他の人のおかげだな~。ありがたいな~。」

 

というそれぞれの視点で解釈した場合、どちらが正しい間違っているはないですが、エネルギーの視点で見たときより循環するのは後者の「おかげ」のほうです。

 

前者は思いの先があくまでも自分(個)なので、エネルギーは循環しにくいんですが、後者の場合は思いの先が「自分以外」になっているのでエネルギーが循環する考え方です。

 

人生における幸福度がより高くなる考え方は、思いの先が自分以外になっている時です。

 

神を損得で考えるのは不謹慎と思われるかもしれませんが、人生をよりよくするという視点で見たとき大事なことなのであえて説明しました。

 

もちろん神なんていないという人もそれはそれでアリだと思います。笑

(´_ゝ`)どうでもいいけど

 

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[画像出典 https://unsplash.com]

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