この世は不公平
この世は不公平にできている。
それが「いい悪い」という話ではない。
「ただそうである」というだけの話。
この世は思い通りにならない。
「この世は苦」
たとえば昨日、今日、明日の天気を自分の力でどうこうできない。
生まれてくる時代、国、親、環境、肉体は自分ではどうこうできない。
この世はある意味で不公平にできている。
時には人の容姿や環境、仕事や家庭を羨む事は誰しもある。
「あんな容姿に生まれたかった~!」
「あんな家庭環境に生まれたかった~!」
「あいつみたいに仕事ができたらな~!」
「あんな金持ちに生まれたかった~!」
この状況は、たとえばカードゲームをやろうとしている時に最初に配られたカードに対して、
「なんでこのカードなんだよー!バカやろー!」
と文句を言ってるのと同じ。
明日の天気予報が雨100%で、
「なんで明日雨なんだよー!晴れろよバカやろー!」
と文句を言ってるのと同じ。
結局、いくら文句を言ったところで人生は何も変わらない。
時間の無駄。
思考は平等
そして、この「人生は何も変わらない」は変える事ができる。
それは「思考」。
なりたいものや何かしらの目標があったとして、ただ文句を垂れ流すのではなく、
「不公平の中でも変えられる部分はどこ?」
「今の自分に何ができる?」
をまず考える。
この世は不公平だけど、人間みんなが平等に使う事ができるもの、
それが思考。
それはある意味でドラえもんの四次元ポケット。
使うのも使わないのもどう使うかも自由。
この思考についてはまた次回。
この世は不公平。
文句を垂れ流し続けても一生は終わる。
ダメ元で何かに挑戦をしても一生。
この世での肉体という旅行時間は長いようで短い。
「この世は不公平」というゲーム設定をどう楽しむのか?
そこには正解はなくて、みんな自由という名の自己責任。