スピリチュアルによくある運命論
今回はスピリチュアルの中でも、悟り系のお話に出てくる「運命論」について書きたいと思います。
その前に運命というと、関連して「宿命」という言葉がよく出てきますよね。
なのでまず、この運命と宿命の違いについて書いてみたいと思います。
運命と宿命の違いについて
まず「宿命」ですが、これは簡単に言えば生まれてきた国や家の環境、時代、性別、親兄弟など自分ではどうしようもない部分になります。
カードゲームで言えば、ゲーム開始時に配られて持っている「最初の手持ちカード」のようなものです。
これって自分の力ではどうしようもないですよね。笑
(´_ゝ`)まあそうね
そしてよくこの宿命の話では、
「あなたは前世のカルマが関係していてなんちゃらかんちゃら~」
という説明がありますが、前世というものは「視点」によってあるともないとも言えるのでここでは割愛します。
逆に「運命」は宿命とは違い、「自分の力で変えていける」という部分が特徴になります。
「パラレルワールド」の記事にも書きましたが、これからの自分の行動次第でいくらでも変えていけるというものです。
例えばよく、
「私は運命的な出会いをした!」
という言葉がありますね。
これは単なる偶然のように思える出来事でも、そこに至るようになるにはそれまでにそういう行動をした(原因がある)からという事です。
こういう話は仏教的な言い方をすれば、因果応報と言って簡単に言えば、
「こうしたから(原因)」→「こうなった(結果)」
という事になります。
- 「宿命」=「あらかじめ決められている設定」
- 「運命」=「いいも悪いも自分次第で変わる」
と簡単にまとめるとこういうイメージです。
そしてこの話を踏まえて、本題の運命論にいきたいと思います。
人生は全て決まっている?
悟り系のお話に出てくる運命論」とは簡単に言えば、
「人生の全ては決まっている」
という事になります。
「え?人生って全部決まってるの?じゃあ努力しても意味ないって事?」
と受け取る人によっては思うかもしれませんが、これも最初に言ったように視点によって答えが変わってきます。
まずいつも僕がこのブログで言うように、こういうお話は「正しい間違っている」をどちらも証明できません。
仮に証明できたとしても、全ての存在が納得する事はないので、絶対的なものとは言えません。
なのでどこまでいっても、ある視点のお話程度に受け取ってもらえればと思います。
では話を戻しまして。
この運命論に出てくる「全て決まっている」は僕自身も納得していて、どちらかというと「ワンネス視点」な考え方だと思います。
ワンネス視点は時間も場所もない領域なので、先ほど出てきた仏教の因果応報が通じない視点になります。
言葉にすると「起こる事が起きた」、「ただそうである」というカンジです。
時間という概念がないので、因果関係も存在しないんですね。
「じゃあ因果応報が間違っているの?」
と言われればそうではなく、その視点はそれで正しいんです。
「じゃあどれが真実(本当)なの?」
と思う人もいるかもしれませんが、真実(答え)というのはそれを見る視点によって変わるので、言ってしまえば視点の数だけ「正しさ(真実)がある」と表現したほうがイメージ的に近いかなと思います。
この話を段階的に見ると、、
「生まれた時の宿命は決められている」
↓
「その後の運命は自分の行動次第で変えられる(因果応報)」
↓
「そして運命論はそれら全部含めて全て決まっている(運命論)」
というように視点によってそれぞれに段階があり、どの視点が真実(正しい)というものはないんですね。
「全て決まっている」という矛盾
「人生が全て決まっている」は先ほども言ったようにそれを受け取る人によっては、
「じゃあもし私の人生がダメなシナリオなら、これからいくら努力したって意味ないじゃん!」
と考えてしまう場合もあるかと思います。
そしてこの運命論の結論を先に言うと、
「全て決まっているけど、先の展開はわからない」
という事です。
言葉にするとすごく矛盾してますよね。笑
この「全て決まっている」という話を、分かりやすく説明している漫画があります。
「バガボンド」という漫画知っていますか?
昔、少年ジャンプで伝説のバスケ漫画「スラムダンク」を連載していた作者の井上雄彦先生が、雑誌モーニングで描いている漫画です。
(原作は、吉川英治の小説「宮本武蔵」)
僕はこの漫画も大好きで、もちろん全巻読んでいます。
このバガボンドとはどういう漫画かと言うと、簡単に言えば「宮本武蔵と佐々木小次郎の闘い」を描いた時代劇漫画なんですが、その作品の中に沢庵宗彭という高僧(位の高いお坊さん)が登場します。
沢庵は歴史上にも実在した江戸時代の僧という事で、宗派は臨済宗だったと記録されています。
その沢庵は主人公の宮本武蔵が物語の中で木に吊されれて処刑されそうになるシーンなど、ストーリーの要所要所で登場する重要人物なんですが、その沢庵が過去の回想シーンの中で人々を救えない自分に苦悩し、荒れ狂う海の前で泣き叫ぶ場面があります。
すると突然沢庵に雷のような光が落ちて、そこでいわゆる「悟りを開いた」ような状態になります。
その後、沢庵は物語の中で宮本武蔵が悩んでいる場面でこういう言葉をかけます。
「すべては決まっていて、それでいて自由。」
この言葉は今回の話の運命論を説明する上で、実に的を射ている言葉だと僕は思ったので紹介しました。
物語の中でその言葉を聞いた武蔵は怒ります。
「すべて決まっていてなんで自由なんだよ!」
と。
先ほども言いましたが、完全に矛盾している言葉なので普通は「どゆこと?」ってなりますよね。
これは人生のすべては決まっているけど、先の未来はわからないのであらゆる可能性がある、つまり「自由」と言えるわけです。
「すべては決まっている(運命論)」と「自由(因果応報)」という言葉がそれぞれ別視点での事なので、いっしょにするとどうしても矛盾してしまうんですね。
この「すべて決まっている」をもう少し細かく説明すると、自分の思考も感情も言葉もありとあらゆるものが、すべて決まっているという事になります。
まとめ
この運命論の「すべて決まっている」は極論的な話なので、この世界で生きていく上であまり意味はないんですが、物事を「受け入れる」という視点から見る時に少しは意味を持つのかな~と僕は思っています。
似たような言葉で、自由意志というものもありますが、
「自由意志はあるのか?ないのか?」
というやり取りも先ほどの説明と同じで、「自由意志はある」という視点もあるし、「自由意志すら決まっている」という視点も同時に存在しています。
どの視点を重視して採用するかは人それぞれですが、せっかくこの世に個として存在しているわけだから、僕は運命(人生)は自分次第で変えていけるという視点でこの世界をできるだけ楽しんでやろうと思っています。
だって「すべて決まっている」という視点は、ひと言で言うとめちゃくちゃつまらないんですよね。
(´_ゝ`)アチャー
「それも含めてすべて決まっているんですよ。」
というツッコミを感じながら、矛盾の中この記事を書いています。。笑
「すべては決まっていてそれでいて自由」
過ぎてしまった過去は変えられないし、たとえ人生がすべて決まっているとしても、これからの人生をどう生きるかは結局自分次第なんだと思います。
「っていうか悟りって何?」についての記事はこちらです。
→悟りとは?それってどんな特徴があるの?僕が思う悟りの境地と意味
ノリさん、初めまして。
最近「運命」「宿命」って何だろうと思うところがあり、ネットをお散歩していたらこちらのブログに辿り着きました。
なかなか全部を理解するには難しい内容でしたが、でも私がモヤモヤと霧の中で探っていた事に対して何だかとても腑に落ちたのです。
私のフォロワーさんの中にも私同様霧の中で迷っている人が大勢いるのですが
私の文章力ではとても伝えきれないので、私のTwitterでこちらのブログ記事を紹介させて頂いてもよろしいでしょうか?
又、ツイートの中で
「すべては決まっていてそれでいて自由」
を引用させて頂いても宜しいでしょうか?
ご了解を得てからTwitterで引用させて頂きたいと思いますので、お返事宜しくお願い致します。
突然のコメント失礼致しました。
miuさんはじめまして。
僕自身まだまだ拙い文章力ですけど、この記事が少しでもお役に立てたならよかったです。
もちろんmiuさんツイッターの方で使ってもらっても大丈夫ですよ。
わざわざお問い合わせしていただいてありがとうございます。(^-^)