【目に見えない世界は信じない?】スピリチュアルなお話によくある問題について

目(eye)

スピリチュアルあるあるなお話

今回はスピリチュアルなお話によくある「目に見える見えない問題」についてお話してみたいと思います。

 

よくスピリチュアルなお話になると

「守護霊なんて今まで一度も見たことないし、そんなん信じれんわ!」

というパターンがありますよね。

 

僕自身、霊的能力なんてゼロのおっさんなので、霊とかオーラはまったくもって見えません。笑

(´<_` )それな

 

ただ、今までさんざんこのブログでも「目に見えない世界」のお話をしているので、目に見えない世界は「ある」と思って生きてます。

あるないの壁

この世界は二元の世界なので、「ある」の反対の「ない」も同時に存在します。

 

「私は目に見えるものしか信じない!」

というタイプの人ですね。

 

これは別にどちらかが「正しい、間違ってる」という事ではなくて、「好きか嫌いか?」というお話です。

 

「この話が真実です!理解できないあなたは魂レベルが低い!」

「目に見えない話なんて絶対ウソだし信じない!」

 

こういう両者がいたらたぶんわかり合えないし、ムリにわかり合おうとすればケンカになるだけですよね。笑

 

こういう「わかりあえない」が個人レベルではなく大規模になると「宗教戦争」とかになります。

 

結局のところ「目に見える見えない問題」はどちらが正しい間違ってるを証明できないんですけど、僕が目に見えない世界を採用している理由はそのほうが「得」だと思うからです。

 

こういう話にあまり「損得」を持ち込むのはよくないかもしれないですが、人生の中でより幸福度を上げやすいと思うから採用しています。

 

もう少し細かく言えば、「あるない」どちらかを拒絶するのではなくて、どちらの視点も持っていたほうがより広い視野で世の中を見る事ができると思うんですよね。

 

僕の中で最終目的が「より幸福度を上げること」もっと簡単に言えば「人生をより楽しむこと」なので、正しい間違ってるはどちらかと言えば「どっちでもいい」んです。

 

ただ逆に言えば、「目に見えない世界を盲信する事」もバランスを崩してよくないです。

 

少し前に話題になった「とある宗教問題」は目に見えない世界を信じすぎた結果、信者の家族や二世とよばれる子供の人生にも悪影響を及ぼしました。

 

なのでそういう被害者をこれ以上増やさないためにも、「目に見える見えない」どちらの世界もバランスよく見れる視点が大事だと思います。

目に見えなくてもあるもの

目に見えなくても大事なものって世の中にたくさんあります。

 

たとえば「酸素」がないと人間は生きていけないですよね。

 

酸素って目に見えないけど確かに存在しています。

 

たとえば「感謝」とか「人を大切にする心」、逆に言えば「憎しみ」とか「人に嫉妬する心」って目に見えないけど確かに存在しています。
(数値化はできませんが。笑)

 

守護霊や神様も目には見えないけど存在していると思うというか、思っていたほうがより謙虚に生きていけると思うんですよね。

 

今まで生きてこられたのは「自分だけ」の力ではなくて、「他力」があって生かされてきたんだなと。

まとめ

もちろん「謙虚に生きていく」ことも個人の自由なので絶対的な正解はないんですが、僕はそのほうが「好き」ということですね。

 

この「目に見える見えない問題」もこの先解決される事はないと思いますが、最終的にはそれぞれ個人が「好き」なほうをバランスよく採用して生きていけばいいと思います。

 

「関連記事」→【神様は本当にいる?】宗教問題やスピリチュアルにあるお話

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