【読者さんからの質問】スピリチュアルのあるある的なお話

ビーチ

スピリチュアル的な疑問

ノリです。

 

今回はブログ読者さんからの質問メールからお話してみたいと思います。

 

ではさっそくいきましょう。

ブログ読者さんからの質問

初めまして、Cと申します。

いつもブログとメルマガ、興味深く読ませていただいております。

目から鱗の記事も多く、ためになる内容をありがとうございます。

15年位前にスピリチュアルな本を読んで、ゴリゴリすぎてついていけなくて、スピリチュアルはヤバいという偏見を持っていましたが、ノリさんのスタンスはとても安心して読めて好きです。

(ブログにたどり着いたきっかけは、人に依存されて嫌になって、「エネルギーバンパイア」の記事を検索したことでした)

ブログやおすすめされてる本などを読み、実践してみて、色んなことに気づけました。

とても感謝しています。

ダメ人間だと思っていた自分が、自分の体が、自分の意志とは無関係に色んな細胞やら代謝やら環境やらに生かされている、ということに気づくことができました。

別にダメ人間でも存在していていいんだと思えるようになりました。

ところで、このところ世界のエネルギーに感動して感謝する→精神・身体的なしんどいことがおこる(よく言う好転反応?)を繰り返していて辛いです。

ホルモンバランスとかセロトニンのせいもあると思いますが…。(お薬は飲んでおります)

定期的にメルマガやブログを見て、一息つくのですが、しんどいモードの時はどうにも歯がゆいです。

こういう上げ下げを繰り返して内面的な成長?をするのかなあなどと考えています。

例えばノリさんは風邪などひいて、浄化する余裕もなく「あー、しんどい!」っていう時はどうされてますか?

あともし機会があれば伺いたいのですが、世の中の背景を考える時、いわゆるブラック労働の背景を知ってしまうと、ひたすら戸惑いを覚えます。

運送屋、アマゾン、ユニクロ等、ルポルタージュの本を読んだのですが、従業員の身体をボロボロにしたり、海外労働者を最悪死なせてしまったりする商品を、私はまだ完全に断ち切ることができません。

少ない手取りでは、回数を減らすのがやっとで…。

フェアトレード、エシカルな消費をしようにも、高すぎて、生活できません。

低所得の私はさらに貧しい人々への加害者である、という認識があります。

私自身も、賃金の低い地方にいるので、東京など大都市に搾取される側なんだなと感じることもあります。

製造業の会社にいますが、働いている人皆が楽しいわけじゃなくて、怒りや怨念が商品や事務作業にこもることも多いだろうなと感じます。

けれど、私にはホワイトなベンチャー企業などを立ち上げて、大金を稼いで世界に貢献する、などということはできそうもありません。

時折、罪滅ぼしのように、寄付などしようかと考えますが、それも一時的な逃げで、きりがない気がして二の足を踏んでいます。

世界の循環の中には、どうしても負の部分が存在しますが、意識し出すと息苦しい思いです。

「ただ、そういうこと」と割りきればいいのでしょうか?

中途半端に負の部分を知ったせいで、自責感情が刺激されてうまく昇華できないのが悩みです。

長文になりましたが、読んでいただいてありがとうございました。

 

Cさんメールありがとうございます。

 

まず前半の「エネルギーと体調」の部分ですが、人間はどこまでいっても「完璧」はないので、Cさんが言われるようにアップダウンを繰り返しながらエネルギーが上がる人もいれば下がる人もいます。

 

上がる人と下がる人の「差」はこのブログでもお伝えしているように、マインド面であったり「食」などの物質面だったりします。

 

なので今は苦しい時もあるかもしれませんが、少しずつでもエネルギーを高める事を意識してもらえればと思います。

 

またもう一つの質問の、

「例えばノリさんは風邪などひいて、浄化する余裕もなく「あー、しんどい!」っていう時はどうされてますか?」

という時はあらゆる事を捨てて「とにかく体を休める」ようにしています。

 

なるべく余計な事は考えず、とにかく寝る。

 

余計な事を考えると、それだけエネルギーを消費してしまうからですね。

 

あと「ブラック労働」の部分ですが、僕自身も過去にCさんと同じような事を考えた時期もありました。

 

このブログでもお伝えしているように、「世界のために貢献したい」というような「思いの先」を広げる事はとてもいい事です。

 

ただ、そこから陥ってしまう罠で、

「どうせ私なんか、、」

という思いが頭によぎる事がありますよね。

 

ここで大事なのは、今の自分がやっている事の大きさ(お金など)は関係なくて、とにかくなんでもいいので「小さな一歩」を踏み出す事なんです。

 

例えばCさん言われるような「寄付」の場合、やりたいと思いならたとえ100円でもいいのでやってみるといいんですね。

 

まずは大小関係なく、今の自分のできる事からやってみる。

 

そしてその結果は期待するのではなく、

「結果はわからないけどなったらありがたいな~。」

ぐらいで天に軽く投げるイメージの信頼ベースの思いがいいです。

 

そしてこの世は「善と悪」の二元性なので、ブラック企業というものもこの先完全に無くなる事はないと思います。

 

例えば「タバコのポイ捨て」を世の中からすべて無くす事が無理なのと似ていて、もちろんそれらを無くす事に力を注ぐ事を望むならそれはそれでいいとは思います。

 

ただ僕が思うのは、例えば「批判する人を批判する」という活動をしても、結局自分も批判のループから抜け出せなくなります。

 

なので例えば自分が、

「人々が豊かで平和で幸せな世界したい。」

と思うなら、そういう人が増えるような活動をする事の方が遠回りのようで近道だと僕は思います。

 

この世は「矛盾」だらけです。笑

 

「絶対的な正解」なんてものは存在しません。

 

そうしたこの世の「矛盾」を抱えながら、

「自分はどうしたいのか?」

という思いを大事にしてもらえればと思います。

 

「正しさ」というのは、結局自分自身にしか分からないので。

 

というわけで今回はブログ読者さんからの質問からお話しました。

 

今回以上です。

 

[画像出典 Unsplash]




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