鏡の法則とは?
今回はスピリチュアルにもよくある、「鏡の法則」についてお話したいと思います。
「そもそも鏡の法則って何?」
という事なんですが、これは言葉の通りあなたの周りにいる人(家族、夫婦関係、仕事関係、友達関係、、etc)は、「あなた」の映し鏡のように反映されているという話です。
(´_ゝ`)はい?
例えば、人の悪口ばかり言っているような人には、そういう人が集まりやすい、そういう出来事が起きやすいという事ですね。
あなたが今読んでいるこうしたインターネット上のブログや、ユーチューブ、ついツイッターなどのSNSなども特にコメント欄を見るとわかりやすいです。
例えば誰かに対して攻撃的な言葉(記事)を書いていると、同じように攻撃的な人が集まってきます。
今時のYouTubeで言えば、「炎上系ユーチューバー」のコメント欄なんかを見るとわかりやすいですね。
逆にサイト主がほっこりした記事(言葉)を書いていると、同じようにほっこりした人が集まってきます。
わかりやすいものでは、「類は友を呼ぶ」という言葉もあるように、これはいい悪いを別にして、この世のそういう「仕組み」とも言えます。
そしてこの鏡の法則というものも、僕がいつもこのブログで伝えている、「エネルギー(波動)」という言葉でも同じ事が言えます。
エネルギー(波動)が高い人の周りにはそういう人が集まるし、エネルギーが低い人の周りにも同じようにそういう人が集まりやすくなります。
自分の内側が現れる?
鏡の法則でよくある話で、
「あなたの内側が外の世界に現れる」
という話があります。
この「内側」というのはあなたの内臓とかそういう意味ではなくて、笑 あなたのマインド(思考)が外側の世界に反映されるといったイメージです。
さっきの話でも、「怒る人の周りには同じような人が集まる(起きる)」と説明したように、この世の仕組みとして自分の周りには自分と同じような波動(周波数)の人が集まるという感じです。
また少し視点を変えてお話すると、例えばあなたが「だらしない人」に対してものすごくイラつくとします。
「なんだよコイツ!だらしないな~!(イライラ)」
この「だらしない人」にそういう感情が出てくるという事は、あなたの深い意識の中に「だらしない部分」があるから反応するとも言えます。
(´_ゝ`)どゆこと?
自分の中の深い意識のところに、
「本当はだらしなくしたい!」
という部分があって、普段(表向き)の自分は無意識にその部分にフタをしているから、だらしない人を見ると羨ましくなってイラっとするという反応が起きたりします。
例えば仕事をよくサボる人がいるとして、その人に対してものすごくイラつく場合、あなたの内側に「サボりたい自分」がいるというイメージです。
これは「いい、悪い」を別にしてそういうただそういう仕組みという話で、ある意味では自分以外の「相手(鏡)」があるおかげで、「自分」というものをより「知る」ことができるとも言えます。
夫婦関係と鏡の法則
鏡の法則とは自分以外の「相手」がいることで、自分一人では得られないような経験(体験)をする事ができ、それによって気づきを得られる事ができます。
これは仕事や家族や友達などこの世のあらゆる人間関係に関係する事なんですが、特に「魂の修行」になるのが夫婦関係です。
(´_ゝ`)やだん!
この「魂の修行」という言葉を聞くと、
「そんなの信じられないし、そういう体育会系のノリはなんか苦手だな~!」
という人も当然いると思うし、もちろんこれも数ある中の「一つの視点」の話なので、苦手な人は無理に採用しなくてもいいと僕は思います。
話を少し戻すと、夫婦というのは大なり小なり「自分とは逆の人」といっしょになりやすいです。
これはスピリチュアルな話ではよく、
「結婚は後ろの守護霊さまが決めている。」
とよく言われますが、それが本当かどうかはとりあえず置といて、確かにこの人と結婚したらより魂がより鍛えられる(問題がある)人といっしょになる傾向が多いですね。
僕自身、現時点(2019年)で結婚して10年以上経っていますが、思い返してみると確かに独身のままだったら味わえなかったような経験をたくさんさせてもらいました。笑
逆に言えば、奥さんにも同じ事が言えると思います。
この夫婦関係というのは、魂的な視点から見てもめちゃくちゃ「成長」できるんですね。
「魂の成長」=「思い通りにならない」
夫婦関係というのはもちろんメリットデメリット両方ありますが、これは一言で言えば「苦行」です。笑
この「夫婦関係」だけでもブログ記事一つ書けてしまうと思うので、笑 この話に関してはまた別の機会に書いてみたいと思います。
(その後書いた記事がこちら。)
→【夫婦関係に悩みが存在する理由とは?】結婚とは修行であり苦行
因果応報という視点
鏡の法則とは別の視点、言葉を使えば、「因果応報」という言葉にもなります。
例えばあなたが人に対してイヤな事、嫌われる事ばかりしていたら、それは回りまわってあなたにとってイヤな出来事が起きます。
逆にあなたが人に対して嬉しい事や喜ばれる事をすれば、それは回りまわってあなたにとって嬉しい事が起きます。
この「回りまわって」の部分がこの世での「時差」という意味になり、いい事、悪い事どちらにせよ「すぐ」には起きないという事がポイントです。
それは明日かもしれないし、一週間後かもしれないし、3年後、10年後かもしれないですが、あとは「天(神)のみぞ知る」という事ですね。
あなたが笑顔でいれば、回りまわってあなたには笑顔になるような事が起きて、逆にあなたが怒っていれば回りまわってあなたが怒るような事が起きます。
あちら側(宇宙)には「善悪」という区別がないので、ある意味で平等にこうした「この世の仕組み」が働きます。
鏡の法則の注意点
ここまで、鏡の法則についていろいろな視点からお話してきました。
ここからはまた別視点の「鏡の法則の注意点」についてお話します。
僕はこのブログでもよく、
「真理はない。」
「この世の完璧な攻略法はない。」
「この世に絶対はない。」
という事を言ってきました。
そして今回のお話の「鏡の法則」もまた然りで、この鏡の法則を「この世のすべての事象」に当てはめてしまうと、バランスを崩して人生がおかしな方向へいってしまう可能性もあります。
(´_ゝ`)どゆこと?
鏡の法則に限らず引き寄せの法則もそうなんですが、人生の中である程度採用するならいいとは思いますが、物事にはやはり「程度」があります。
例えば、あなたの目の前に刃物を持った面識のないあきらかにやばそうなヤツが現れて、襲われそうになったとしますね。
この場面で、
「この人が私の目の前に現れたという事は、私の中に人を攻撃したいという願望があって、、」
とか考えてる場合じゃないですよね?笑
例えば、夫婦関係で旦那さんがめちゃくちゃ暴力を振ってくるようなDV男に、首を絞められている時に、
「うう、、この一人が私に暴力を振ってくるという事は、私の内側に暴力を振りたい自分がいて、この状況はすべて私の内側が創り出したとしたら、、、」
、、、
いやいや!そんなのいいからはよ、、
逃げなはれや!!
、、、という事なんです。
この世には「絶対」がないので、法則うんぬんでは説明がきかない「例外」もあります。
さっきお話した夫婦関係も「魂の修行になる」と説明しましたが、なんでもかんでも我慢して受け入れればいいという事ではなくて、精神的にも肉体的にもどうしても「限界」があるようなら、別れる(離れる)という選択肢も用意しておいたほうがいいです。
これはスピリチュアルにハマる人によくある事なんですが、
- 「真面目すぎる」
- 「なんでもかんでも法則に当てはめようとする」
という傾向が強いです。
傾向し過ぎてしまうために、マインドに「柔らかさ」が無くなり、自分の枠から外れているような情報を目にすると攻撃的になったりしてしまう場合も出てきます。
今、まさに僕が書いているこの記事のような内容ですね。笑
話を少し戻すと、鏡の法則というのも知識としてあったほうがいいし、人生をより豊かにするための一つの考え方として採用するのはいいと思います。
ただ、なんでもかんでもこういった「法則」を当てはめてしまうと、バランスを崩し世界を狭くしてしまう場合もあります。
これは例えば好きなアーティストや好きなご飯屋さんと同じで、「正しさ」はなく「好み」で採用する感じで、一つの視点にあまり傾倒し過ぎないバランス感覚が大事だと僕は思います。
この世に「陰と陽」があるように、どちらか片側に傾き過ぎるとバランスを崩す天秤のようなイメージですね。
関連記事→【いい人生】にするために必要なのは陰と陽のバランスを知ること
というわけで、今回はスピリチュアルにもよくある「鏡の法則」についていろいろな視点からお話でした。
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やっぱり、ノリさんの話はわかりやすいですね。
アーティストさんに対しても物事に対してものめりこんでいけないのは確かなことで、間違ったことは間違っていると正すべきだし、「○○と○○は同じ」と結び付けてはいけないんですね。
鏡の法則に近い感じで、スピ系や占いに手を出した人間は没落していきますが、欲深い人間にもそれが当てはまる感じがします。
自分の場合は好きだった漫画家でしたが、あらゆる文化にどんどん手を出し、自分が好きになった作品をパクるうちの子厨的な漫画家でした。
そのせいか、彼を気に入った人間や物事・彼が好きになった人間はどんどんおかしくになり、破滅してしまいましたし、作者自身も漫画で不安をあおり、目がトカゲのようになっていき、私自身も離れました。
逆に作品をパクったりせず、努力しているクリエイターには、ちょっとした連作でも称賛され、仕事が与えられている気がします。
神様はちゃんと見ているんです。
akikoさんコメントありがとうございます。
「欲」というのは人間だれしもあるものなんですけど、akikoさんの言うように「過ぎる」とどんどん悪い方向へ行きますよね。
やはり長い視点で見て、結果はどうであれ「地道にコツコツ」が王道だと思います。(^-^)
世間では「パワーとフォース」っていう理論があって、人間にとって害のある力の働きをフォース、人間にとって良い力の働きをパワーと呼ぶ理論で、言い換えれば白魔術と黒魔術ともいえる考えなのですが、心の悪い部分と良い部分が働きかけるという意味ではある種の真実だと思っております。
代表的なパワーは、愛や希望、勇気などで、逆に代表的なフォースは、失望・怒り・恥などです。
誰かをいつくしめばパワーになり、だれを批判すればフォースになります。
私はこれを見て、キリスト教の大罪と玄徳に近いものを感じました。仏教でも似たような考え(徳?)がありますよね。
宗教の世界の人たちでは、良いことをすればよいほうに向かうっていうのは、当たり前の考えだったのかもしれませんね。