メダカと川のお話
今回は「人生の中で起きる試練の意味」について簡単にですがお話してみたいと思います。
というのも、さっきお風呂に入って「いい湯だなぁ~あははん♪」してたら今回のお話を思いついたので忘れないうちに今慌てて書いてます。笑
(´<_` )ふる
ではさっそくいきますがこのブログでもよく、
「魂を鍛えるための試練」
「人生の壁(試練)」
というような言葉を使っています。
今回はこの言葉の意味を少し違う角度から、手短(1分ぐらい)に説明してみたいと思います。
少しイメージしてみてください
それではさっそくですけど、少しイメージしてみてください。
あなたが「メダカ」になったとします。
メダカが川を泳いでいます。
あなたはスイスイといつも通りの川の水の中で泳いで生きています。
「今の川の水」=「今の生活」
この川の水はいつまでも「同じ」とは限りません。
ある日、川の水が少し濁ってきました。
「少し濁った川」の水は住めない事はないんですが、ちょっとストレスを感じます。
そしてその濁った川の中で生活して2年が経ちました。
最初はストレスを感じていた少し濁った水にも、すっかり慣れてしまいいつしかストレスを感じなくなりました。
そうこうしているうちに上流から「かなり濁った水」が流れてきました。
少し濁った水で生活していたお陰で、かなり濁った水の中は住めない事はないんですが、やはり少しストレスを感じます。
そしてかなり濁った水で生活して3年という月日が経ちました。
最初、少しストレスだったかなり濁った水にもいつしか慣れてしまい、ストレスを感じなくなりました。
「キレイな川の水(スタート)」
↓
「少し濁った川の水(2年経過)」
↓
「かなり濁った川の水(さらに3年経過)」
最初はキレイな川の水の中でしか住めなかったメダカは、5年という月日を経て、
「キレイな水」~「かなり濁った水」
という範囲まで住める(生きる)「自由度」、「幅」が広がりました。
この「幅」は別の言葉で言えば「魂レベル」とも言えます。
「キレイな川の水」の中でしか生きられないというのは一見、楽で良さそうに思えるんですが、人生の中で予期せず起きる出来事(壁)があった時に脆いし、その分ものすごく大変な思いをします。
逆に「すごく濁った水」の中で生きてきた場合は、慣れるまでに大変だけど一度慣れてしまえばいざという時に強いです。
もちろん誰だって楽な思いをしたいし、好き好んで「苦」なんて味わいたくないですよね。笑
(´<_` )あたりまえだのクラッカー
なのでここで言いたいのはキレイな水が「いい、悪い」ではなくて、ただそういう仕組みという事です。
よく、「若いうちの苦労は買ってでもしろ!」という言葉もあるように、今回のメダカの例え話で言えば、若いうちから濁った水に慣れてしまえばその後の人生が楽になる(心の自由度が上がる)というイメージですね。
死の水
ただこのお話にも少し例外もあって、それは「死の水」というものです。
先ほどのすごく濁った水からさらに進化版で「死の水」というパターンがあります。
この水は名前の通り「慣れる」とか「忍耐」とか「我慢」というレベルではなく「死んでしまう」という水です。
例えば、夫婦関係で旦那がめちゃくちゃ暴力を振るってきて、そのまま一緒にいたら殺されてしまうようなパターンですね。
これは慣れるとかそういう事ではないので、「離れる」、「逃げる」というような選択が必要になってきます。
「死の水」は慣れるとかそういうレベルではないので、一時的でもいいので避難する事が大事です。
視点によっては、
「死んでも魂の修行を全うする!」
というハードなパターンもあるかもしれませんが、正しい間違っているという事ではなくて、このブログではあまりそういう考え方は推奨していません。
どちらかと言えば、
「とにかく生きてなんぼ」
というユルめなスタンスでお送りしています。笑
というわけで、今回はお風呂で思いついた「メダカと川の水」というお話でした。
(´<_` )ばーいセンキュー!
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