
この世は一瞬の幻想旅行
今回は「この世は旅行みたいなもの」というテーマでお話してみたいと思います。
(´<_` )ふーん
あくまでも僕が個人的に思っているだけのお話なので、「正しい間違っている」はまあどうでもいいです。笑
ある視点から見れば「この世」というのは「旅行」と同じだな~と思います。
人はみんないつか死ぬ。
死んだ時には、この世で手に入れた「お金」も「地位」も「名誉」もあの世に持っていけません。
あの世に持っていけるのは、この世での「思い出(体験)」だけ。
今世をどのように生きて体験して楽しんだのか?
この「楽しむ」という言葉も人によって違うので、いろいろな意味での「楽しむ」があります。(苦しみも含めて)
私たちの「肉体」というのは、この世(物質世界)を楽しむ、体験するための器のようなもの。
今どきの言葉で言えば、超高性能のVR機です。
魂(エネルギー)がVRという肉体を通じて、この世を体験しているだけ。
この「体験」というのは大きな視点から見れば「いい、悪い」はなくて、どれも等しくスピリチュアル的に言うとアカシックレコードという宇宙の巨大図書館みたいな空間に保存されていきます。
この世でいくら貯金したとか、どれだけ出世したのかというのは、あの世視点で見るとあまり意味がなくて、今世自分が肉体という器を通じてどれだけ「楽しんだのか?」「体験したのか?」に意味があります。
よく死んだらエンマ様がいて「人生を楽しんだか?」と聞かれるという話がありますが、本当かどうかは置いといて「すべてはエネルギー」というワンネス視点から見れば「エンマ様」=「自分」なので、「楽しんだ」かどうかは自分自身が一番分かってるんですね。
だってこの世に生まれて死ぬまで、自分がやってきた良いこと悪いことの「全て」を見てきたのは自分だけです。
一説によると死ぬ前に
「もっとこう生きればよかった、、」
「もっとああすればよかった、、」
と後悔する人は多いみたいですね。
もちろん人間なので「完璧に後悔のない死」を迎える人も少ないと思いますが、後悔のパーセントを減らす事はこれからの生き方次第で誰でもできると思います。
旅行中って人にもよるかもしれないんですけど、なるべく楽しく過ごしたいですよね。
この世自体が旅行とするなら、この世で肉体を持って生きているうちはなるべく楽しく生きたいですよね。
そういう視点から見ると、この限られたこの世という時間の中で、不平不満や愚痴を言ってる時間ってもったいないと個人的に思うんですよね。
もちろん人間なのでそういう時もあっていいんですけど、そういう時間はなるべく「短く」切り替えて、せっかくの旅行なんだから「楽しい時間を増やす事」を考えた方がいいと思います。
織田信成が言った「人間五十年夢幻の如くなり」という言葉もあるように、人の人生は思っているより短いです。
楽しい事を考えても、イヤな事を考えてもこの世という旅行の「時間」は、みんな平等に今この瞬間も確実に終わり(死)に向かっています。
今日一日、やりたいことはやったか?
今日一日、やりたくないことは断ったか?
今日一日、食べたい物を食べたか?
今日一日、人生という旅行を楽しんだか?
もちろん時間やお金など、人によってある程度制限はありますが、「できる範囲で」という事ですね。
たとえ後悔の人生だとしても、それも含めて旅行の一つの思い出。
「この世は旅行みたいなもの」というお話でした。
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