【無駄な人生の意味】という言葉について個人的に思うこと

きれいな風景

 

人生とは「無駄な事なんて一つもない。」と言えるし、「意味も価値もない。」とも言える。

 

こんな事を言うと「そんなん矛盾しとるやん!」とツッコまれそうだけど、これは視点によって解釈が変わってくるから仕方ないといえば仕方ない。

 

(ちなみに「意味も価値もない」というのはどっちかといえばワンネス視点に近い。)

(´<_` )ちょっと何言ってるのかわからないんですけど、、

 

どっちが正しいとか間違ってるとかはなくてそれぞれ正しいんだけど、あえてこの世的に役に立つ方を選ぶなら「無駄な事なんて一つもない。」という視点。

 

たとえば、

「私の人生の中であの経験はホントに無駄な時間だった!」

という場合、その人が「無駄な時間だった」と思えば本当に無駄な時間になるし、

「あの時は無駄な時間だと思っていたけど、勉強になる部分もあった。」

と思えば無駄な時間ではなくなる。

 

結局、本人が「どう思うのか?」次第で限りある人生の時間が無駄なのかそうじゃないかが決まる。

 

ある意味、同じ体験をしていても違う世界(パラレルワールド)を生きる事になる。

 

究極、どっちの世界が正しいとか間違いとかはなくて、今世での「そういうプレイ」とも言える。

 

 

[画像出典 Unsplash]




One Response to “【無駄な人生の意味】という言葉について個人的に思うこと”

  1. ちょっとお邪魔します。
    私はブロガーのカメさんと申します。
    非二元論を検索していてノリさんのブログを読ませて頂き、私も同じような思いでブログを書いていますので、とても興味深く読ませて頂きました。
    私の人生哲学は、人間として当たり前に生きる事です。
    自分とは「無」であると答える事で自己確立を果たした心に道理が開かれて、物事の正しい筋道で当たり前に生きる人間になり、人間世界の問題に挑戦しています。
    何故戦争が無くならないのか、どうして人は互いに殺し合いするのか、毎日人殺しの武器を造り続けている武器産業が発展して国が潤う・・・
    人が悟りを開いて無我と成り人が人の生き方を説いているが、その人が人間の世界で問題を起こす張本人、その人が「無」に成ると、問題は0に成るという事に成ります。
    自分の生きている姿は人間なんだ、人間とは何か、見れば分かりますが、人が何であるかは見ても分からない。
    私は悟りを開いて「無」に成り、神に成らずに人間に成る事で道理が開かれて物事の正しい筋道で当たり前に生きる人間としての哲学を書く事で戦争を無くする筋書きが浮かんでくるようになり、毎日思いつくままに書き続けています。
    ブログは日記、書きたい事が自由に書けるので、書きたいから書く、それだけの事としてもう2~3十年に成りますか、ブログは私の道楽です。
    カメさんの見聞録、一度ご意見賜ればありがたいのですが、突然失礼しました。

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