【本当の愛とは何?】愛とは足し算ではなく引き算というお話

真実の愛とは?

  「どうせ私なんて愛されてないんだ!」

  という思いを抱いて生きている人は、この世の中に少なからずいるかもしれないですね。  

 

というわけで今回は、「本当(真実)の愛って何?」というテーマでお話していきたいと思います。

(´_ゝ`)ふーん

 

  この「愛」というものも、それを見る「視点」によってその「答」が変わります。

  「愛とはこういうものだ!」  

と人間がただの状態に、愛という意味や価値をつけているだけという視点もあります。  

 

そしてもっと時間を遡れば、地球が誕生してまだ地上に人間がいなかった頃には、「愛」という概念(何か)は存在しなかったんですね。  

 

ただ、これも別の言葉で表現するなら、

「愛」=「エネルギー」

という見方もできます。  

 

よくスピリチュアルの中でも、悟り系のお話にある至福体験(悟り体験)の事を、

  「すべて愛しかなかった、、」  

という表現をしたりしますが、これももともと言語化できない状態を、無理やり言葉にした時に「愛」という表現になったというイメージです。  

 

「愛」というのはもともと存在しなくて「人間が作った概念」とも言えるし、エネルギー的な見方をすれば、「すべて愛」という事も言えます。  

 

これは一見矛盾しているように思えますが、先ほども説明したように「視点」によってその答が変わるという事ですね。  

 

では次に、「愛とは人間が作った何か」という視点から、この世によくある「愛の勘違い」についてお話します。  

愛という呪縛

例えばよく夫婦関係で、

  「私は旦那(パートナー)に愛されてない!」  

というパターンがありますね。  

 

これは奥さんが旦那さんに対して、

「愛されているとはこういう事だ!」

という一つの愛の定義(ルール)を作っています。  

 

そしてそのルール(定義)に沿っていないと、

「思っていたのと違う!」

と思い通りにならない現実にストレスを感じてしまいます。  

 

その愛の定義(ルール)とは例えば、

  「ありがとうを言ってくれない。」

「子供の世話をぜんぜんしてくれない!」

「自分の事(趣味など)を好き勝手やって私の事をぜんぜん見てくれていない!」  

など言い出せばまだまだありそうですが、笑 自分で作った、もしくは友達や世間一般から比べてできた「愛とはこういうもの」が思い通りにいかずに、結果的にそれが悩み(呪縛)になり自分を苦しめます。

 

「あれが足りない!これも足りない!」  

 

と自分で作った愛の定義から見て監視し、さらに定義を足して増やしていきます。  

 

その増やした定義の分だけ、 「思い通りにならない!」 という苦しみが増えていきます。

(´_ゝ`)ドM?笑  

 

最初にも言ったように、ある視点から見れば「愛」という何かは存在しません。

 

人間がただの状態に「愛とはこういうもの」というルールを作りました。  

 

もし仮に「愛」というものがあるとするなら、僕はこう思います。  

愛とは引き算

  先ほどの夫婦関係の場合は、愛の「足し算」でした。  

 

「もっと旦那(パートナー)がこうなら、、」  

少し逆のイメージしてみましょう。  

 

もしかしたら旦那さんが仕事をしてくれて、毎月お給料が入ってくる事は当たり前じゃないかもしれません。  

 

もしかしたら、旦那さんが健康で生きている事は当たり前じゃないかもしれません。  

 

もしかしたら、家族がみんな生きている今日は当たり前じゃないかもしれません。  

 

これはパートナーを逆にしても同じ事が言えます。  

 

もしかしたら、奥さんが毎日ご飯を作ってくれる事は、当たり前じゃないかもしれません。  

 

もしかしたら、奥さんが健康に生きられる今は当たり前じゃないかもしれません。  

 

もちろん愛という定義は人それぞれですが、引いて引いて最終的に残るものは、、  

 

「今」と「命」です。    

 

「生きていてさえくれれば、、」

 ある視点では愛とはルールや条件ではなく、条件が無くなる事が本当の愛だと僕は思います。

 

今回は夫婦関係を例にお話しましたが、これは親子関係でもどんな関係でも同じ事が言えると思います。

 

そして、それは「自分」にも同じことが言えます。  

自分と愛

「自分を愛するとは?」  

と考え出すとなにやら難しく感じるかもしれませんが、笑 先ほどお話したように条件のない状態がある意味で「自分を愛する」という事だと思います。

 

もしかしたら、自分という肉体があって、今命があるということは当たり前じゃないかもしれません。

 

自分という自我(エゴ)、肉体がある事で、今まで思い通りにならなかったり、苦しい思いもしたかもしれません。  

 

でも、同時に「自分」がいるおかげで、嬉しいことや楽しいことを体験することができます。  

 

そういう意味で少し俯瞰した視点から自分を見た時、この「自分」に対して無条件に感謝の念が湧いてきます。  

 

「愛とは何か?」と聞かれれば、それは「目の前の当たり前に気づく事」かもしれません。

 

    関連記事→【感謝すること】とはどういう意味?わかりやすく説明します  

[画像出典 Unsplash]

6 Responses to “【本当の愛とは何?】愛とは足し算ではなく引き算というお話”

  1. 今回のメッセージで思わず涙してしまいました。価値観が変わったような気がして・・・。

    私もお母さんが病気になったことで、家族が健康でいてくれること・一緒に入れることで当り前じゃないって気づきました。
    愛って他人に愛され続けることが正解じゃないんですよ。本当の愛は自由で縛られないこと。他人の幸福を祈ること。他人に愛され続けることは執着に近いんです。

    自分が昔見た児童向けのドラマで、うろ覚えですが、こういう展開がありました。
    姉妹が同じ人を好きになってしまうのですが、最後は「恋愛は勝ち負けじゃない」ことに気づいて、妹が姉の幸せを祈って終わります。
    本当の愛はこれに近いのかもしれません。永遠の愛は存在しない。

    • akikoさんコメントありがとうございます。

      「愛」というもの一つとってみても、いろいろな解釈がありますね。

  2. ノリさんはじめまして。
    投稿を拝見して、自分がもがいていた苦しさに気づけました。ありがとうございます。
    ノリさんのご意見を伺いたいのですが、ノリさんの仰る愛に”見切り”のようなものはありますか?

    • 田中さんコメントありがとうございます。

      これも「見切り」という言葉をどの視点から見るのか?にもよると思います。

      例えば人生の中で誰かを見切ったとして、その直後は見切られた側の人は裏切られたような気分になるかもしれません。

      でも長い視点から見れば「見切られた体験」があったおかげで、その人はより成長できるかもしれません。

      また見切る側も、

      「ただ単に嫌だから見切った」
      「その人の事を思ってあえて見切った」

      というパターンなどがあります。

      というように「見切る」という事がイコールで「いい、悪い」「愛である、ない」という事は視点によって意味が違ってきます。

      「見切る」「見切られる」という体験から何を学ぶのか?という事が大事だと思います。

      あくまでも僕の個人的な意見ですが、少しでも参考になれば幸いです。
      (^-^)

      • ご返答ありがとうございます。
        自分の中で合点がいきました。ありがとうございます。

        私事なのですが、ここ数年間、自分に至らない点があると自覚しながらも、それが何なのか認識できずにいました。先日恋人から別れを告げられ、改めて自分と向き合う中でこのブログを見つけて、自分の方向性が定まりました。今はまだ立ち直ることは難しいけれど、気付かせてくれた恋人に対して、また、ノリさんの言葉には感謝しかありません。
        これからは人への感謝と信頼を持って生活していこうと思います。長々と失礼しました。ノリさんのこれからの活動を応援しています。

        • 田中さん、コメントありがとうございます。

          このブログが少しでもお役に立てたならよかったです。(^^)

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