「ジャッジ」のメリットデメリットについて
今回はスピリチュアルのお話にもよく出てくる、「ジャッジ」について書いてみたいと思います。
まずこの話をする前に、一つ気をつけておきたいポイントがあります。
それはこのジャッジに限らず、
「感謝しなさい!」
系などのスピリチュアルなお話全般に言える事です。
それはお酒といっしょで、「~過ぎない」という事が大事なんですね。
(´_ゝ`)それな
どういう事かと言うと、例えば「お酒」でも少しだけ飲むのは血液の循環もよくなり、特に冷え性なんかの人には「体にいいもの」になります。
でも度を超して「飲み過ぎる」と、糖尿病などの病気を引き起こし体を壊してしまいますよね。
それも同じでスピリチュアルな話に出てくるものも、度を超すと精神的、身体的なストレスの元になる可能性が出てきます。
そして今回お話する「ジャッジ」もまた然りです。
ジャッジとは、自分の個人的な価値観で相手を裁いてしまうこと。
さっきの話のように、ジャッジし過ぎるのもジャッジしなさ過ぎるのも体(精神的にも)には良くないです。
ではどういう事か順番に説明していきますね。
ジャッジし過ぎるパターン
この世界で生きていく上で、あまりジャッジし過ぎるとストレスになり精神的にもいい状態とは言えないです。
例えばあなたが近所を歩いていて、お隣さんに挨拶したとします。
でもお隣さんにはなぜか無視をされました。
この場面では、大まかに2つのリアクションのパターンが考えられます。
パターン1 「なんだよ!せっかくこっちから挨拶したのに無視しやがって!」
パターン2 「ん?多分気づいてもらえなかったんだな。ま、いっか。」
起きている現象は同じです。
「挨拶した」→「無視された」
という現象が起きた。
まずなぜ無視されたのか?という事は、この時点でお隣さんに直接聞いてないのでわかりません。
ここで大事なのはそこではなくて、起きた事にたいして「どう思ったのか?」という部分。
どっちが正しい間違ってるという事ではなくて、どちらがよりストレスを感じているのか?ということです。
人生の中でストレスが多ければ多いほど精神的にはよくないし、それに関連して体の方にもよくない影響が出てくる可能性があります。
逆に言えば、
「私はストレスまみれの人生を送りたいんだ!」
という人は、どんどんジャッジしまくっていけばいいと思います。笑
「どう生きたいか」は人それぞれですから。
そして完璧主義の人なんかは、このジャッジが強い傾向にあります。
「こうであるべきだ!」
「~しなければならない!」
特に仕事面なんかだと、こういった考え方が求められたりするので一概には言えませんが、やはりジャッジし過ぎると精神的にダメージが大きかったりもしますね。
ジャッジしなさ過ぎるパターン
先ほどまでは、ジャッジし過ぎるデメリットを説明しました。
次はその逆の、ジャッジしなさ過ぎるデメリットについて書いてみたいと思います。
これはよく、キレイ系なスピリチュアルにありがちなパターンです。
「物事にジャッジをしてはいけません!」
「ジャッジをやめた私たちが世界を救います!」
というようなパターンです。
そして例のごとく、
「私たちの会に入りませんか?」
的な流れにだいたいなっています。笑
その人たちが本当に世界を救うかどうかはどっちでもいいんですが、この手の話は矛盾だらけです。
「物事にジャッジしてはいけません!」
これどういう事かわかります?
「ジャッジしてはいけない」というジャッジをしてるんです。
(´_ゝ`)ち~ん
本当の意味でジャッジしないなら、「何かを主張した時点」でダメなんですよね。笑
だって仮にこの世の全てに対してジャッジをしないなら、何も言う事はないはずです。
何かを変えようとした時点で、そこには何かしら「問題」があるわけで、1ミリでも否定した時点で不満がある事になります。
この世界で生きていくのに、ジャッジしないというのは無理です。
机上の空論であり、理想論に過ぎない。(という個人的な意見です。笑)
人にヒドい仕打ちをされたり、愛する家族が目の前でどんな理不尽な目にあっても、ジャッジしないでヘラヘラしてたら逆に
「それってどうなの?」
という事ですよね。
気持ち悪いというか、もう人としてヤバいレベルだと僕は思います。笑
そしてこういう事を書いていると、
「ジャッジしない生き方とはそういう事ではない!」
とツッコまれそうですけど、(そもそもジャッジしないならそんなツッコミ自体入れないだろうし、)だいたい肉体を持った人間である以上、そんな生き方なんて無理なんだから、そんな事自体考えないほうがむしろ人生楽しく生きられると個人的には思います。
人間である以上、ある程度のジャッジは必要です。
ただ、さっきも説明したように「ジャッジし過ぎる」のも気をつけたほうがいいのは確かです。
まとめ
「天秤」をイメージしてもらえるとわかりやすいですが、物事にはバランスが大事でどちらか一方に偏り過ぎると、何かしらの弊害が出てきます。
もちろん人間なので、「完璧なバランス」なんてのは存在しません。
出来ないし、もっと言えば出来なくていいんですね。
ある視点(ワンネス)から見れば完璧ですが、やはりこの世界で人間は不完全だからこそ味わいがあるし、この世界はそういうものだと僕は思います。
→【ワンネスとは?】スピリチュアルにある話をわかりやすく説明します
「スピリチュアルって危険なの?」についての記事はこちらです。
ノリさん、おはようございます♪
感謝の回もそうなんですが、今回の「ジャッジしてはいけない」も身に覚えが…(笑)( ;∀;)
「ジャッジしてはいけない」にあまりこだわりすぎると、ジャッジする自分を常にジャッジしている状態がつづいている感じで苦しいと思いました(・・;)
いまは楽しいことややりたいことに自然に意識がむくことが多い感じですね。
ジャッジももう少し考えれば、なんか「お笑いのネタ」みたいに出来そうで面白いですよね。笑
ジャッジがスピリチャルなこととしてあるのを知りませんでした。
「この人はこうなんだ」と受け入れるジャッジをすれば良いのかなと思いました。