【非二元論は危険?】ノンデュアリティーについてわかりやすく説明します

宇宙

非二元のこの世でのメリットデメリット

今回はスピリチュアルの中でも悟り系に出てくるお話の「非二元(ノンデュアリティー)」についてと、その危険性(デメリット)について書いてみたいと思います。

 

まず「非二元って何?」という事なんですが、これは簡単に言えば言葉の通りに「二元の逆」という事です。

二元性とは?スピリチュアルにもある話をわかりやすく説明します

(´_ゝ`)ふーん

 

二元性では、

  • 「問題があるない」
  • 「幸せと不幸」
  • 「生と死」

と、必ず2つの対となるものがありますが、非二元はそれらが「無い状態」です。

  • 「問題もない」
  • 「幸せもないけど不幸もない」
  • 「悲しみもないけど喜びもない」
  • 「生まれることなく死ぬこともない」
  • 「はじまりもなく終わりもない」

こういう言葉を聞いてあなたはどう思います?

 

「いいな~」と思います?それとも「なんかやだな~」と思います?

 

受け取り方は様々で、人それぞれに感じることは違いますよね。

 

よく非二元をメリットのように扱う人がいますが、メリットがあるってことは同時にデメリットも存在するので、それってもうすでに非二元ではないんですね。笑

 

では、ここから非二元について僕なりに思う事を書いていきます。

非二元の取り扱い方

まず最初に言っておくと、非二元って「言葉(文字)にした時点」でアウトなんです。笑

(´_ゝ`)え?

 

言葉(言語化)にした時点で「ただの概念」になってしまうので、すべて「言葉遊び」のようなものになってしまいます。

「それってどういう事?」

「それってどういう意味?」

と、こういう話をするといろいろな疑問が出てきますが、非二元って捉えようのないものなので、逆に言葉で捉えられるならそれはすでに「非二元ではない」という事です。

  • 「わたし(個)はいない」
  • 「あなたも存在しない」

という言葉でよく表現されたりしますが、普通の人がこんなの聞いたら、

「いい精神科紹介しようか?」

と心配されてしまうレベルの話ですよね。笑

 

まず結論から言うと、非二元はこの世界で何の役にも立たないという事です。

(あくまでも僕個人の効果効能です。)

 

これは別に、「非二元がウソ」だとかそういうレベルの話ではないです。

 

僕も視点によっては非二元は本当だと思っている一人です。

(「そもそも本当って何?」というツッコミはめんどくさいのでなしの方向で。)

 

もちろんこれも思っているだけなので、「非二元が真実なのか?」「そうでないのか?」なんて事は、どちらも証明しようのない話なんですね。

 

さっきの「この世界で」と言ったのは、今私たちが存在しているこの二元性の世界ではという意味です。

 

先ほども説明したように、結論としては捉えようのないものを捉えようとしても「時間の無駄」なんです。

 

この世界で人間でいられる肉体時間というのは誰しも「有限」ですから。

 

また「ワンネス視点」という大きな視点から見たとき、この「非二元」という考え方を使う場合もあるので、「いろいろな視点の中の一つ」という意味では使いどころがあるとも言えるかもしれませんね。

まとめ

この世界で非二元の話を持ち込んで混同させてしまうと、自分以外の他人や世界をないがしろにしたり、軽視することになりかねず、幸せになるどころか人生にとって悪影響を及ぼす可能性もあると思います。

 

非二元はこの世界での話ではなく「あちら側」の世界のお話なので、ひと言で言えば「混ぜるなキケン!」という代物です。あくまでも「ほどほど」にしておく程度がいいと思います。

 

「スピリチュアルって危険なの?」についてはこちら。

スピリチュアルは危険?ハマると怖い洗脳系や特別意識系の特徴

YouTube版

[画像出典 Unsplash]

7 Responses to “【非二元論は危険?】ノンデュアリティーについてわかりやすく説明します”

  1. 心から同意しますね。非二元>二元と言った時点でもう二元w。要するにキリスト教の人格神−人格=神=全体=ワンネス等々。白人プチブル層向けのネオキリスト教なんじゃないですかね?

    • シロさんコメントありがとうございます。

      まあ結局のところやっている本人が心底楽しくて、自分たち「だけ」でやっている分にはお好きなように、、と思いますね。笑

  2. 非二元論が役に立つか役に立たないか救いがあるかないかとか、考えてないです。
    例えるなら、赤ちゃんに自我が未だ無く、赤ちゃんと世界の境界が無い状態が非二元論的な世界です。

    二元論的だ、非二元論的だと考えてない状態がまさに非二元論的です。

    未だ損得や世界は~などと考えてるのはマーヤーに陥ってる人と考えてます。盲人が暗闇のなかにいるような形です。

    • たくさんコメントありがとうございます。

      人それぞれに「非二元とはこういうものだ。」という概念がありますね。

  3. ノンデュアリティが語られる時、特定のコンテキストの中での表現になります。おっしゃる通り対象と非対象という現実(あるいは幻想)が無いため優れた絵画や音楽のように一瞬の真実をマテリアルで組み合わせた何かにすぎません。ただし、同様に二元性という我々が当たり前のように日々通しているフィルターにも矛盾がいくつもあると言えます。例えば私の身体、私の心、私の考えなどと表現する時(ほぼ全ての人が表現したことがあると思いますが)それは私なるものが所有している何かを表しているということになります。となると私って何ですかという究極の疑問にぶち当たるわけです。ノンデュアリティは私の観察がひたすら行われるというという態度と言えるかもしれません。

    • 通りすがりさんコメントありがとうございます。

      なんか「私はいない」って言ってた女性の「O」さんの事思い出しました。笑

  4. 二元性は波風
    とすれば、
    非二元性は波風が立っていない状態
    それは何も語ることができない。
    と理解しました。

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