【悟りを開く】の本当の意味とは?わかりやすく説明します

仏像

今回は「悟り」について

今回のテーマはスピリチュアル系のお話の中でも「悟り」です。

(´_ゝ`)ふーん

 

よく巷の本屋さんにも、「悟りの教科書」みたいな本が売られていますよね。

 

ブログでもこの「悟り」をテーマにしたものなんかも、この世界にはたくさんあります。

 

そしてブログで有名になってくると講習会やらセミナーを開いて、

「悟りとはなんちゃらかんちゃらです!キリっ」

とご親切に説明してくれます。

 

で。。

 

ここであなたも気になるのは、

「悟りって何なの?」

という事ですよね。

 

これね逆に僕が聞きたいぐらいですよ。

( ´∀`)Σ⊂(゜Д゜ )こんたわけ!

 

例えば悟った人という人がいたとして、僕ならこう質問します。

 

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ノリ「あの~悟った人ですか?」

自称悟った人「はい。さっき悟りました。」

ノリ「え?そうなんですか。あの~それで悟りって何ですか?」

自称悟った人「悟りとは悟りの段階、意識レベルがなんちゃらで~アストラル体がかんちゃらで~」

ノリ「へぇ、、それで「それ」って誰が決めたんですか?」

自称悟った人「それは過去にブッダがなんちゃらで~キリストがかんちゃらで~」

ノリ「おっふ、、、それでその過去の人達は何を根拠に言ってるんですか?」

自称悟った人「それは高次元の神様がなんちゃらで~」

ノリ「いごっそ、、、それでその工事現場の神様の言ってる事が正しいって誰が決めるんですか?」

自称悟った人「いやいやキミさ?神様の言ってる事はどう考えたって正しいよね?」

ノリ「いやいやいや正しさなんて、視点によってどうにでも変わるしそれぞれでしょ?」

自称悟った人「おまえ面倒くさ。」

ノリ「すぺぺぺぺっ!」

ーーーーーーーーーーーーーーーー

、、、

あれ?何の話でしたっけ?笑

悟りというただの概念

地球が誕生してまだ人間がいない頃には、「悟り」なんてものはなかったんですよね。

 

どこかの段階で悟りという、「何か」が作り出されました。

 

悟りとは人間が作ったただの概念です。

 

という「一つの視点」があります。

 

もちろん別の視点から言えば、「ある」んでしょう。

 

「誰か」が作った「何か」という概念では。

 

これは正しいとか間違ってるという話ではなくて、好みの問題なんです。

 

例えば人それぞれ好きなアイドルグループが違うとか、好きなうどんの麺の硬さが違うように「私はこれが好き!」というようなものがあります。

 

悟りもそういう一つの「ジャンル」です。

 

でもこういう事書いてると、

「悟りをそこらのアイドルグループと同じにするな!」

と悟りファンの人達に怒られそうですが。。笑

悟った人って本当にいるの?

この「悟った人」というのもさっき説明したように、「視点」によっているとも言えるしいないとも言えます。

 

「いない」というのは、さっきも説明したように人間が作ったただの概念という視点ならいないと言えます。

 

逆にいるとするなら、それは「特別な人」ではなく日常生活の中で同じように生活している人だと思います。

 

まず、悟りのブログや本で有名な人が悟った人なのか?というのは、僕は一概にそうとは思わないです。

 

というのもそういう人はどちらかというと、悟りの本の「知識が豊富な人」というだけで、イコール「悟っている」とは思えないからです。

 

言っている「言葉」は立派でも、実際の「行動」がそうではない場合があります。

 

そういうリアルな出来事も僕自身、実際に見てきました。

(この「そうではない」もある意味、僕の決めつけになっちゃいますけど。笑)

 

あと「本当に悟った人」がいるなら、たぶん表には出てこないと思います。

 

なぜなら承認欲求がないからです。

 

承認欲求とは、

「もっと人に凄いと思われたい!」

「もっと人に認められたい!」

というよくある人間の欲求の一つです。

 

承認欲求自体が悪いという事ではなくて、悟りというジャンルになると、なにか違和感というかズレみたいなものを感じます。

 

自称悟った人によく見られるのが、この承認欲求が強い人が多いです。

「悟りが世界を救います!」

というような、少し煽りにもとれるような言葉を使う事が多いです。

 

こういう言葉を使って人を集めるという事は、裏を返せば、

「もっと認められたい!」

という欲求の現れとも言えます。

(もう少し正確に言えば、「そう見られても仕方ない」という意味です。)

 

「救う」という言葉が出たのでついでに言うと、悟りが人を救うのではなくて、救うのは「自分自身」でしかないんですよね。

 

よくお坊さんとかが、修行の果てに悟りを得るとかそういう話があります。

 

それはこの悟りをどう定義したにもよるので、正しい間違ってるという事ではないんですが、悟りとは「何か特別な事」じゃなくてもっと自然なものだと僕は思います。

 

悟りとは特別な何かではないという事。

 

それは誰かのための特別な何かじゃなくて、本来人間が誰しも持っているというか、もっと本来あるものだと思います。

悟れば幸せしかなくなる?

「悟れば問題がなくなって人生を楽に生きられるようになる?」

これは結論から言えば、「ならない」です。(あくまでも僕個人の主観です。笑)

 

「人生が楽になる」というのは大なり小なりの差ができる程度で、完全に問題がなくなる事はないと思います。

 

というのもこの二元性の世界に存在している時点で、苦からは完全に逃れる事なんて無理なんです。

 

この苦とはわかりやすく言えば、思い通りにならないという意味です。

 

「存在」=「苦(思い通りにならない)」

 

もちろんこの「苦」があるからこそ、反対に位置する「楽しい」「幸せ」というものも感じる事ができます。

 

だからこれは悪い事ではなくて、絶妙なバランスで陰と陽が混ざりあっているイメージですね。

 

また、いわゆる「悟りビジネス」をしている人は、商売上で「幸せしかない」ように見せていますが、あれはあくまでもお客さんの前だけのパフォーマンスみたいなものです。

 

ビジネスですから、ある意味お客さんに「憧れ」を抱かせないと商品(本やセミナー)が売れないんですね。

 

これはホストもホステスの世界でも同じ事で、お客さんに「現実」ではなく「夢を見せる事」が仕事の一つです。

 

これも別にいい悪いの話ではなくて、そういうビジネス戦略の一つという事なんです。

まとめ

 

「君子占わず」

 

という言葉があります。

 

これは簡単に言うと、占いを極めた究極形は「占わない」という意味です。

 

道を極めると最終的には占いという型を「捨ててしまう」という意味で、

「捨ててしまったから無駄になったのか?」

と聞かれればそうではなくて、捨てた99%は残った1%に圧縮ファイルのように残ります。

(外側にあったエネルギーをすべて内側にしまうというイメージです。)

 

すると占いという型に囚われなくても、その人の言葉や生き方は自然と占いと同じような事をしている状態になります。

 

悟りというのも、悟りという型を捨ててその人の言葉や生き方を通して、自然に人に伝えている状態こそが本当の意味での差取り(悟り)なんだと僕は思います。

 

「二元性って何?」についての記事はこちらです。

二元性とは?スピリチュアルな話にも出てくるこの世の仕組みについて

YouTube版

[画像出典 Unsplash]




5 Responses to “【悟りを開く】の本当の意味とは?わかりやすく説明します”

  1. ノリさん、こんにちは♪
    ノリさんの「悟り」についての記事ひさしぶりですね!読みごたえありました。
    とくに最初の「悟った人」との会話、すごくおもしろくて涙ぐみながら笑ってしまいました(笑)( ;∀;)これからもまたつづけて読みたいです(*^^*)

  2. こんばんは
    ふと「悟りとはいったい何?」という思いになり、検索しましたらたどり着きました。私の心のなかのモヤモヤがスッキリいたしました。そして、私は私の生き方で幸せなんだな(o^-^o)という自信を改めて感じました。ありがとうございます。

    • 小川さんコメントありがとうございます。

      モヤモヤがスッキリしたならよかったです。(^^)

  3. ”何事をも受け入れることができるようになること”が悟ることなのだと、私は思っています。
    この記事を読んで、”さとる”の”さ”は”そのように”、”とる”は”受け取る”と考えました。
    いかがでしょうか?

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