【人に与えるの意味とは?】日常の中で誰でも簡単にできる小さな習慣

「与える」についてのお話

 

今回はこのブログでもよく出てくる、

「人に与えるってどういう事?」

という部分についてお話したいと思います。

(´_ゝ`)ふーん

 

この世には大まかに「与える人」「与えられる人」2パターンの人に分かれるんですが、今回はこの「与える」という部分についてフォーカスしてみたいと思います。

 

これも厳密に言えばどんな人であっても、与える側、与えられる側になります。

 

例えば、「呼吸できる」という事は既に地球(植物など)から「与えられている」とも言えます。

 

子供のためにお弁当を作るという事は、そう思っていなくても「与えている」とも言えます。

 

このお話も与える側がよくて、与えられる側はダメという単純な話ではなくて、人にはそれぞれ生まれてきた時の「設定」、魂レベルが違うので一概に「これが正しい!」というものはないです。

 

なのでこのお話もあくまでも、

「この世の仕組みってこういう感じです。」

という大まかなイメージで読んでもらえればと思います。

「自」と「他」

最初にお話したように、この世にはめちゃくちゃ大まかに「与える側の人」と「与えられる側の人」に分かれます。

 

細かく言えばどんな人でも両方その性質を持っているんですが、大まかに分けるとこの2つに分けられます。

 

過去に書いた「魂レベル(人生の4ステージ)」の記事を読んでもらえると分かるように、「欲望のステージ」「自己実現のステージ」の段階はいわゆる「与えられる側」の人で、「貢献のステージ」「使命のステージ」の段階の人は「与える側」の人になります。

(あくまでも大まかなイメージです。)

 

ようは思いの先に「自分」がいるのか、「他人」がいるのかの違いで、これも段階的には「自分」のステージをやり尽くして、自然と思いの先が「他人」にシフトしていくイメージになります。

 

なので、例えば今の段階で思い先が「自分」の人は、それが悪いという事ではなくて、とことんそのステージをやり尽せばいいという事ですね。

 

するとどこかの段階で、

「あの人の為になにかしてあげたいな、、」

という思いが自然と出てきます。

 

そういう段階になると、「自分(自己)」のステージから、「他人(貢献)」のステージに変わってきた一つの目安(サイン)とも言えます。




誰でもできる「与える」とは?

「与える」と聞くと、

「人に与えるって言われても、自分には特別な能力も経験も何もないから無理だよ。」

と、少し腰が引けてしまう人もいるかと思います。

 

また巷によくあるスピリチュアル系や自己啓発系の本にも、

「まず人に与えるましょう!」

という言葉はよくありますよね。笑

(´_ゝ`)めんどくさ

 

この言葉はもちろん間違っているわけではなくて、僕のブログやメルマガ、ユーチューブでも同じ事を言っているんですが、「取り扱い方」に少し気をつけないとけない言葉なんです。

 

どういうことかと言うと、例えばカラダ作りもできていない子供をいきなり何かしらのスポーツの試合に出すようなものです。

 

どんなスポーツにしても本格的に試合が出来るようになるまでには、基礎となる「カラダ作り」が必要ですよね。

 

逆にカラダ作りがちゃんと出来ていないと危険だし、怪我の原因にもなります。

 

それと同じで、その段階ではない人にいきなり「人に与えましょう!」と言っても、なんだかピンとこないし、無理にやれば自己犠牲的なマインドになってしまってかえってマイナスになる場合もあります。

 

なのでそれぞれの段階(ステージ)で、できる範囲からの「与える」をやっていけばいいんですね。

 

そしてこの「与える」にもいろいろな視点があって、「目に見える物質的な与える」から、「目に見えないマインド的な与える」があります。

 

「物質的な与える」はわかりやすくて、例えば自分の知っている(得意な)分野で困っている人がいたら直接教えて(助けて)あげるとか、ボランティア活動とかゴミ拾いなど「目に見える行動」のことですね。

 

主婦は家族のためにご飯を作ることで家族に与えて、料理人は心を込めて料理を作ることで人に与えて、農家は心を込めて野菜を作ることで与えて、格闘家は試合で見ている人に勇気を与えて、歌手は心を込めて歌うことで人に与えています。

 

これらは物質的な「行動」が伴うので、ある意味「難易度が高い与える」です。

 

その分、大きな「徳積み」にもなるとも言えますね。

 

そしてここからが今回のお話の本題なんですが、、笑

(´_ゝ`)前フリ長っ!

 

先ほども言ったように、物質的な「行動」というのは難易度が高いので、

「そんなの私にはできないよ~!」

という部分も当然あります。

 

なのでそういう人に僕がオススメするのは、難易度の低い「マインド的な与える」です。

(´_ゝ`)まいんど?

 

例えば、あなたがコンビニで買い物をしてレジの人にお金を払う時に、

「このお金(エネルギー)でこの人のがより豊かで幸せな人生になりますように。」

という「想い」でコンビニの店員さんにお金を払います。

 

「コンビニで買い物」→「レジの人にお金を払う」

 

やっている事(行動)は今までと同じです。

 

違うのは「どういう想いで生きているのか?」という部分。

 

あなたが今見ているこうしたブログにしても、メルマガ、ユーチューブにしてもこの世の中のどんな仕事でも同じことで、作り手が「どんな想いで作っているのか?」がとても重要なんです。

 

「え~。そんなことイチイチ思って生きてられないよ~。」

というのは、まあ普通の人なら当然思う事なんですが、笑 とりあえず一回でもいいので「まずやってみる」事が大事です。

 

そしてもっと言えば、どこに行かなくても部屋の中でも「誰かの幸せを想う」事はいつでもできますよね。

 

こういう事を別の言葉で「愛念の祈り」と言いますが、例え物質的な行動が出来なくても特別な能力がなくても、「誰かの幸せを想う」ことはどんな人にだってできます。

 

もちろん慣れない事なので常に継続するのは難しいですが、まず一日一回(5秒)でもいいです。

 

この「想う」というのも一つの「行動」だと僕は思っていて、「何もしない」よりはエネルギー(波動)が上がりやすくなり、エネルギーが上がるという事はイコールで人生における幸福度(運気)がより高くなるというイメージです。

 

ここまで説明したように、「与える」というのもいろいろな段階があって、その難易度もいろいろあります。

 

なので小難しい事はあまり考えずに、まずは自分のできる範囲でまずは「やってみる事」が大事だと僕は思います。

 

 

今回のお話に関連する「徳」についてはこちらです。

【徳が高い人の特徴とは?】仏教にもある徳について考え方とその意味

 

[画像出典 Unsplash]




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