「時間は幻想」
「場所は幻想」
「この世は幻想」
「いいも悪いもない」
「意味も価値もない」
「何があっても大丈夫」
「私はいない」
「すべて愛」
、、、という悟り系の話によく出てくる言葉たち。
この言葉が「正しい間違っている」というのはあまり問題ではなく
仮に正しいとしても、、、
幻想だとしても時間も場所もある。
幻想だとしても肉体はある。
幻想だとしても他人はいるし私もいる。
幻想だとしても二元性の世界にいる以上いい悪いはある。
幻想だとしても意味や価値はある。
幻想だとしても肉体がある以上、何があっても大丈夫ではない。
幻想だとしても二元性の世界で生きている以上
「愛だけ」という片側だけのいいとこ取りはできない。
悟り系に出てくる言葉たちは、精神的部分の一時的な痛み止めのようなもの。
だからこの世界で100%必要ないものではないが
痛み止めは一時的な応急措置であって、使い続けるものではない。
この二元性の世界で、日常的に使い続けるものではない。
痛み止めは使い続ければ、いずれ副作用が出て「毒(害)」にもなる。
この世界ではいい悪いもあるし、意味や価値もあるし、何があっても大丈夫ではない。
「きっと大丈夫だよ~」
というポジティブな考え方は確かに必要な時もあるが、
天秤と同じでポジティブに偏りすぎるのはバランスを崩し、結果物事を余計に悪化させる。
悟り系の話は間違ってはいないが、それはこの世界の視点ではなくどこまでいってもある視点の話。
受け取る側の注意点はその話をこの世界の事と混同させず、そのまま鵜呑みにしないということ。
この二元性の世界で存在し生きていくということは、痛みからは避けて通れない。
一時的に痛みから逃れることはできても、
痛みから逃げ続けることはできない。
という一つの視点。
「スピリチュアルって実はヤバいの?」についての記事はこちらです。
→スピリチュアルって危険なの?ハマると怖い特別意識系や洗脳系などの特徴
昔読んだ、岸田秀を思い出した。
Hanattさん、コメントありがとうございます。
>痛みからは避けて通れない・・・ですよね?でも、避けたいですよね?w
もう、苦悩したくないと思い、苦悩無き精神性を求めてきました。ですが、ある苦悩はもう起きようがないにしても、違った苦悩のパターンは起き続けています(笑)
これ・・・生涯続くと思うと気がなえてしまいますwww。
人生にひとつだけテーマを残すとしたら、苦悩無き精神を選びます。
ほんとは、無いのですが、それを識っても体験しても、何も変わらずに苦悩は大なり小なり体感されております。人間である以上は「一切皆苦」・・・ですが、しゃくそんさんは、こんな言葉も残されているようです。「苦悩無きが悟りである」とも。雑多なスピ系の抽象観念は捨てますが、これだけは残していきます(笑)
こちらの記事が読めて幸いです。ありがとうございます。
アクアさんコメントありがとうございます。
「苦悩なき精神」ですか。
僕は逆に苦悩が無くなるのは嫌ですね。(ドM?笑)
喜怒哀楽、、この世で死ぬまで人間を味わって生きたいと思っています。(個人の感想)
人それぞれ「選ぶもの」が違うという事ですね。