自分にとってイヤな人や嫌いな人の対処法というか一つの考え方のお話

自分にとってイヤな人、嫌いな人、苦手な人というのは人によるけどある程度存在する。

 

おスピ的に言えば、やれ「鏡の法則」やれ「受け入れる」やらいろいろな考え方がある。

 

正しい間違いはないからそれぞれ好きなの選択すればいいんだけど、やっぱり「イヤなもんはイヤ!」という時もある。

 

、、だって人間だもの 笑

(´<_` )しーん

 

結論からいうと、自分にとってイヤな人というのはどこか遠くへ行くか死なない限り無くならない。

 

たとえば日本で暮らしていて、「夏」が嫌いだとして、

「夏なんて無くなればいいのに!」

といくら叫んでも夏は毎年必ず訪れる。

 

それといっしょで無くすことはできないものと「どう付き合っていくのか?」という事が試される。

 

ただこの「付き合う」も程度問題なので、命が危険に晒されるようなレベルならすべて捨ててその人から逃げてしまうのもアリだと個人的には思う。

 

今回はそれとはまた別の視点のお話。

 

たとえば自分にとってイヤな人というのは、おスピ的に「魂のレベル上げるために現れた」という視点もある。

 

とはいえ、いきなりイヤな人を受け入れるのはなかなか難しいんだけど。 笑

 

一つの考え方として、もしあなたの目の前にイヤな人、苦手な人が現れたらとりあえず心の中でこうツッコんでみよう。

 

「わしは小学校の運動会の組体操のピラミッドの一番下か!」

「ドラゴンボールの精神と時の部屋か!」

「ブルマが作った重力のマシーンの中でベジータのマネして死にかけたヤムチャか!」

「松岡修造のテニス教室か!」

「ビリー隊長のビリーズブートキャンプか!」

(´<_` )ふる

 

「いい悪い」は置いといて目の前の苦手な人に文句を言うより、その「状況」にツッコむことで少し俯瞰した位置から自分を見られるようになる。

 

「イヤな人」 「自分」 「状況」

 

たとえばこの世が「演劇」だとして、自分にとってイヤな人というのはいい悪いは別にして「そういう役割を演じている役者」という見方もある。

 

「なぜ今の私にこのタイミングでこの人(イヤな人)が現れたのか?」

 

人生の中で「イヤな出来事」というマイナスは、逆に言えばそれだけ成長というプラスが隠れている。

 

「え~今なんか私イヤな人にめっちゃ絡まれてんだけど~!

てかこの人どんだけ魂レベル上げさす気なん?

はぐれメタル8匹かよ!

来世は神にでもする気かよ!

存在消滅させてワンネスにする気かよ!ウケる~!」

 

イヤな人を「ただイヤな人」として見るのではなくて、一つの「人生のネタ」として見てみる。

 

そうすると同じ状況でも「少しだけ」人生を楽しむことができるようになる。

 

人生とはある意味で「撮れ高」。

 

自分にとってイヤな人、苦手な人にしか出来ない撮れ高がある。

 

「うわ~あいつイヤだな~!」

という普通の視点。

 

「イヤな人登場!魂レベ漠上げかよ!ウケる~!」

というイヤな人と絡んでいる自分の状況を面白がるというあちら側の視点。

 

どれが正しいということではなくて、あくまでもそういう一つの考え方。

 

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